よくぞ、残してくれた吉阪隆正の住宅「ヴィラ・クゥクゥ」

2025.07.17 更新 カテゴリ:コラム

俳優の鈴木京香さんが、建築家・吉阪隆正による住宅「ヴィラ・クゥクゥ」を2021年に取得し、
竣工当時の姿に復元・改修したうえで、2024年春から予約制で一般公開を始めている。
これまで何度も予約を試みたが、ようやく見学の機会に恵まれた。
実際に訪れてみると、その建物は予想以上に遊び心に満ち、居心地の良さが随所に感じられる住宅だった。 

1957年に竣工したこの住宅は、長く空き家となって風雨にさらされ、解体される可能性すらあったという。
そんな状況から一転、感性豊かな継承者が現れたことで、貴重な建築作品が救われたのだ。
もし鈴木京香さんが手を差し伸べていなければ、この名作もまたひっそりと姿を消えていたかもしれない。

 「ヴィラ・クゥクゥ」は、かつては西側に富士山を望めたという、渋谷区西原の閑静な住宅街に建つ。
北側の住戸への日照に配慮し、屋根は片流れの勾配とされた。
吉阪が周囲の環境への眼差しを持って設計したことが伝わってくる。
控えめな外観ながら、打ち放しコンクリートの壁面と開口部まわりの造形は、
一目でただならぬ存在感を放っていた。
残念ながら現在は、西側に大規模集合住宅が建設中で、もはやこの住宅から富士山を望むことはできない。

 内部に入ると、キャンチレバーのRC階段、丸いトップライト、色ガラスを用いた開口部、
使い勝手の良さそうなキッチンなど、住まい手の感性を刺激するディテールが次々と現れる。
三面鏡付きのカウンターや、トイレや浴室の出入口に見られる抑えた寸法には、
住まい手の身体感覚に寄り添う繊細な配慮が感じられた。

 中でも印象的だったのが、吹き抜けのリビング・ダイニング空間だ。
高さを抑えた書斎の上に寝室が設置され、限られた床面積の中に、垂直方向の
伸びやかさが表現されている。そして圧巻は、庭に面した大きな開口部。
引き戸によって全面が開放可能となっており、片流れ屋根の軒下に沿って、横長の開口が水平に大きく広がる。
戸を開け放てば、屋内と庭がひとつにつながり、屋外と一体化した開放的なリビング空間が生まれる。

 改修設計を手がけたのは、現代美術家の杉本博司と建築家・榊田倫之による「新素材研究所」。
杉本は、先日訪れた江之浦測候所においても、景観に深く配慮した美しい建築を手がけており、
その審美眼には定評がある。
今回の改修でも吉阪のデザインを尊重しながら、水まわりには現代的な快適性を丁寧に付えている。
打ち放しコンクリートや色ガラス、構造的なディテールなど、吉阪らしさが忠実に再現され、
単なるリノベーションを越えて、「修復と再生を兼ねた保存事業」として結実した。

 さらに敷地内には、ホウキで仕立てられた垣根や、新たに据えられた石の彫刻によって、
静かな石庭が構成されていた。
ホウキの垣根は、江之浦測候所にも見られる杉本流の遊び心ある手法だが、
今回はそれが雑然とした外部との結界として昨日しており、特筆に値する。

杉本の美意識が加わることで、吉阪の建築はさらに深みを増した。
その結果として、日本建築学会文化賞の受賞も、実に自然なことのように思える。
原設計への敬意と、現代の住環境への応答を両立させたその改修手法からは、学ぶべき点が数多くある。
(文・写真:柳沢伸也)