ヴァザーリの回廊
2025.03.04 更新 カテゴリ:コラム

フィレンツェの象徴的な橋、ポンテ・ヴェッキオ。
その2階部分には「ヴァザーリの回廊(Corridoio Vasariano)」と呼ばれる長い通路が設けられている。
この回廊は、16世紀にメディチ家のコジモ1世の命により、
当時の著名な建築家ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)が設計したものだ。
1565年、コジモ1世はこの回廊をわずか5カ月で建設させた。
目的は、メディチ家が自宅のピッティ宮殿からアルノ川を渡り、
行政の中心であるヴェッキオ宮殿まで安全に移動できるようにすることだった。
この約1kmの回廊は、ヴェッキオ宮殿からウフィッツィ美術館を経由し、
ポンテ・ヴェッキオの上部を通り、ピッティ宮殿へと至る。
現代では特別な機会にしか公開されていないが、その歴史的価値と
ユニークな構造は今も色濃く残っている。
この回廊がいかに強引に建設されたかは、橋を渡った先にある
聖フェリチタ教会(Chiesa di Santa Felicita)にその痕跡を見ることができる。
教会の内部に入り後ろを振り返ると、2階部分にメディチ家専用の礼拝バルコニーがある。
これは、突貫工事で造られたヴァザーリの回廊が、既存の教会の空間を無理に貫通したことによるものだ。
航空写真で見ると、この回廊が周囲の都市の文脈を無視して一直線に突き抜けているのがよくわかる。
後のフランチェスコ1世(在位:1574-1587)の時代になると、半屋外だったこの回廊に
ガラス窓が取り付けられ、メディチ家のプライベート・コレクションが展示されるようになった。
これが、現在のウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)の原型となる。
やがて、このような「回廊に作品を展示する形式」は美術館の原型となり、
今日の「ギャラリー(gallery)」という言葉の由来にもなった。
なお、「ウフィッツィ(Uffizi)」はイタリア語の古い言葉で「事務所」を意味し、
もともとは行政機関の建物だったが、美術館として転用された。
こうした建築の「リノベーション」の歴史をたどることで、現在の都市や文化の成り立ちがより深く理解できる。
ポンテ・ヴェッキオとヴァザーリの回廊は、フィレンツェの歴史的な変遷を象徴する存在であり、
単なる観光名所にとどまらず、都市の持続的な活用と再生の可能性を示唆している。
(文・写真:柳沢伸也)