移築・復元された武田五一設計「芝川又右衛門邸」

2026.07.23 更新 カテゴリ:コラム

明治村に移築・復元された数多くの建築の中で、私が最も心を奪われたのが、武田五一設計による「芝川又右衛門邸」である。 

まず目を引くのは、牛乳瓶の底を埋め込んだような丸いドット模様の左官壁。
緑青色に落ち着いた外壁と、中央に立ち上がる曲線的な煙突が印象的で、どこかマッキントッシュの「ヒルハウス」を思わせる。
かわいらしさと重厚さが同居する姿に、ひと目で「ただ者ではない建築だ」と感じた。

この住宅は、明治441911)年、兵庫県西宮市の農園内に週末別荘として建てられ、
その後も武田五一自身が和館の増築や回収に関わり続けた。木造2階建て、延べ床約165㎡。
3連アーチのポルティコ、大きなバルコニー、左右非対称の構成など、「武田五一らしさ」といわれる要素がそろう。

室内に入ると、その魅力はさらに増す。リビングの天井は網代と葦簀(よしず)による市松模様。
照明器具は手づくりで、その隣には武田五一直筆と思われる照明詳細図まで展示され、
図面にはハートマークまで描かれていた。思わず胸が高鳴る。

この建築は単なる和洋折衷ではない。西洋のモダンデザインを、日本の素材や職人技で表現しようとした試みである。
2階和室の出窓も、障子を外観から見せない工夫が施され、和室の存在を外部に感じさせない。
洋風デザインと数寄屋の要素が自然に融合しており、建築史家・石田潤一郎が
「グラスゴー派の軽みが数寄屋の遊戯性と共鳴している」と評した理由がよく分かる。

武田五一は英国留学を通じてマッキントッシュやグラスゴー派の影響を受け、
その後のヨーロッパ旅行ではゼツェッションにも深く共鳴した。
京都帝国大学建築学科の創設者として後進を育てる一方、世界中から建築部材やデザイン資料を収集し、
日本の近代建築に新たな視点をもたらした人物でもある。
その思想は、この住宅の隅々にまで息づいている。

阪神・淡路大震災では、この建物も大きな被害を受けた。天井は落ち、壁は崩れ、シンボルであった煙突も倒壊したという。
その後、多くの人々の寄付と努力によって明治村へ移築・復元され、今日まで受け継がれてきた。

建築リノベーションアーカイブでは、これまで移築建築を取り上げる機会は多くなかった。
しかし、この建物を前にすると、移築・復元もまた建築を未来へ継承する重要な保存手法の一つであることを実感する。
もし震災後に解体されていたなら、私は武田五一の空間や細部へのこだわりを、
これほど間近に体験することはできなかっただろう。

もちろん、本来の場所で建築が生き続けることが理想である。
しかし、それが叶わない状況においても、移築・復元という選択があったからこそ、
後世の私たちは建築家の思想や技術に直接触れ、その価値を学ぶことができる。
「芝川又右衛門邸」は、そのことを静かに教えてくれる一棟であった。

(文・写真:柳沢伸也)