横浜赤レンガ倉庫

Before:横浜税関新港埠頭倉庫 → After:横浜赤レンガ倉庫

1987年に倉庫としての役割は終了したが解体されず残されていた/撮影:桐原武志 1991年

外観:左が2号館(商業施設)右が2号館(文化施設)/撮影:桐原武志 2002年

飲食店が港が見えるテラスとして活用。/撮影:桐原武志 2007年

旧階段の上に設けられた強化硝子の階段。中央部がスロープの旧階段のを見る事が出来る。/撮影:桐原武志 2003年

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妻木頼黄により設計され技術の粋を集めたレンガ組積造の保税倉庫を保存と保全の整合にむけて、綿密に計画し商業施設、展示施設に

リノベーション概要

BeforeAfter
建築名称横浜税関新港埠頭倉庫横浜赤レンガ倉庫
YOKOHAMA RED BRICK WAREHOUSE
建築用途交通流通施設 流通倉庫 展示施設, 商業施設 展示場 店舗, 飲食店
建築概要/
Renovation 概要

1987年に倉庫としての役割は終了したが解体されず残されていた

<新居千秋都市建築設計より>
保存と保全の違い・・・「保存」とは歴史的建物をそのまま残す、ありのままで構造補強をする。または朽ち果てたその姿のまま留めるというもの。本プロジェクトは、保存を一歩超えて、積極的に活用して保存していくという「保全」という考え方で、劇場・展示の空間を商業的に成立するようにして作り、将来もう一度復元できるようにもしています。
商業施設だけにした札幌の赤レンガや美術館・図書館にしているものとは違い、横浜赤レンガ倉庫は保全としてはかなり難易度が高い計画でした。
2号棟はドイツ式のコルゲート板(波形鉄板)、イギリスのドルマンログ製の鉄骨柱、梁、アメリカ製の引き戸の吊り滑車、エレベーターのオーチスなどは一つの定式化されたシステムで、1903年のオランダのアムステルダムにベルラーヘによって建てられたアムステルダム証券取引所などに、全く同じ形式が見られ地震にも耐えました。
1号棟はオーギュスト・ペレによるパリのコンクリート造のマンションから8 年後に日本でコンクリートを打ったので、知識不足もあり関東大震災で半壊しました。
私たちは、これらの歴史や妻木の個人史、資料等を調べ、当時の日本人の持っていたスケール感や建物の作り方、空間の把握の仕方を勉強して、この設計に入りました。
この建物は構造補強と屋根改修をした時点で保存工事が終了していましたが、壁や天井の漆喰などが落下する恐れがあり、電気、ガス、空調のスペースも階段もない状態だったので、公共施設や商業施設としては建築基準法、消防法に適合しない危険な状態でした。
現行の法律に適合させつつも歴史的建築物が身近に感じられるようにするために、エレベータ・エスカレータを区画する防火壁や、保存階段を上から覆う新設部分に耐熱ガラスを用いました。
施工を担当した竹中工務店と倉庫の計測を行い、倉庫の特徴であるトラス、上下窓、既存階段、既存エレベーター、庫室扉、出入口折戸は残し、外観には屋外機等を一切出さないと決めました。
 私たちは1、2 号棟の設計監理と、2号棟の事業提案の時点で3社の企業グループに参画し、最終的に商業施設としてのコンセプトづくりから、デザインスクリプト、内装設計指針、デザインガイドラインの作成まで携わりました。
当初色々な商業コンサルタントが赤レンガ倉庫の持つ力(建築の構築する力)を信じず、結局キリンの数名と横浜みなと未来社の社長、新居千秋都市建築設計が三菱地所SCの人達とコンサルタントを使わず、ひとつひとつ試行錯誤して取り組みました。

最初2棟間広場に木を植える話などありましたが、緑の多い赤レンガパークとは対照的に、ヨーロッパの都市広場をイメージし、広場から常に新しい文化や流行が発信されるというコンセプトを提案し承認されました。従って、できる限り固定物は設置せず、樹も植えない平らな状態に保つことで、年間を通じて様々なイベントに対応できるようにしました。

概要その他

設計者
新居千秋都市建築設計
所在地
神奈川県横浜市中区新港1
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改修年
2002
建築規模
構造/規模:組石造(レンガ)、一部S造/地上3階、延床面積 5,479㎡(1号館) 10,755㎡(2号館)
掲載書誌
新建築 2002年6月号
賞・選定
第13回BELCA賞ベストリフォーム部門、ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞
URL
http://www.belca.or.jp/b63.htm

リノベーションの手法・キーワード 等

煉瓦

用途変更, 痕跡, 補強

 

 

 

記録作成者

氏名
桐原 武志
所属
Free JIA再生部会