コラム

column

銭湯からカフェ&オフィスへ「快哉湯」の再生物語
人々の記憶が詰まった銭湯
玄関の引き戸を開けると、木札の下駄箱が目の前に現れる。
靴を脱いで中へ入ると、そこには広々とした空間が広がり、芳醇な珈琲の香りが漂っていた。  この建物は、1928(昭和3)年に建てられた「快哉湯」。
2016年まで台東区下谷で人々に親しまれた銭湯である。
入母屋造りの本格木造建築で、瓦屋根の玄関、高さ5.5mの脱…
蜜柑道具小屋が化石窟へ 杉本博司の美学
寂れた作業小屋の入口をくぐると、目の前に広がるのは2億年前のアンモナイトの化石群。
さらに、5億年前の化石、4000年前の青銅器、人類初のくさび形文字、そして蜜柑畑の作業道具が並ぶ。
古びた小屋は、まるで5億年の時を閉じ込めたタイムカプセルのようだ。 昭和30年代に建てられた蜜柑収穫用の道具小屋は、小田原文化財団によって
「化石窟」へと転用され、江之浦測…
新年のご挨拶
明けましておめでとうございます
一昨年にスタートした本サイトも、昨年末で186事例になり、
文化庁の公式HPにリンクが張られるなど、社会的な評価も徐々に得られるようになりました。
また、昨年は京都への視察調査や、JIA関東甲信越支部の会報誌Bulletinでの報告も実現し、
多くの方が訪れる建築リノベーションのアーカイブになってきました。
今年はさ…
文化庁の公式HPにリンクが貼られました
文化庁の公式HPに「建築リノベーションアーカイブ.com」のリンクが掲載されました!
https://www.bunka.go.jp/kindai/index.html これまで、文化庁のHPにリンクが張られているサイトは、
国立近現代建築資料館、全国近代化遺産活用連絡協議会、
東京文化財研究所の3つだけで、今回の追加で4つ目となります。
槇文彦さんメモリアルの会
当Websiteで紹介している「名古屋大学豊田講堂」と「ゐのはな記念講堂」を設計された槇文彦氏が6月6日に逝去されました。私が尊敬する建築家でした。
10月11日~13日に槇さんの代表作であるヒルサイドテラスで「槇文彦さんメモリアルの会」が開催されました。葬儀やお別れ会と異なり、個人が槇さんの遺影や動画と向き合い、お別れをする場でとても良い会場構成でした。私も献花とお別れをさせていた…
バランザーテの教会(1957,MILANO)
正式名称は「Chiesa Mater Misericordiae a Baranzate」。
この教会は、マンジャロッティが世にその名を知らしめたデビュー作である。
建物は半透明ガラスの白い壁、X字型の断面をした大きなPC梁、
そしてPC版の天井パネルで構成されている。
訪れた際には、午後の柔らかい光が白い壁を通して満ち、
天井…
地域で支え合う「聴竹居」
JIA再生部会の京都研修で訪れた聴竹居は、建築家の藤井厚二(1888~1938)が
大山崎町の約1万2千坪の土地に建てた自邸である。
彼のわずか49年の生涯において、全力で取り組んだこの住宅は、細部に至るまで工夫が凝らされている。
どの部屋にいても自然の風が心地よく吹き抜け、明るく快適な空間が広がる。
窓から望む風景は、京都郊外にいることを忘…
絵本『みんなのいえ』
著:たしろちさと、発行:文溪堂の絵本『みなのいえ』をご紹介します。 物語は吹雪の中をさまよっていた旅人が町の外れにあった廃墟にたどりついたところから始まります。旅人は崩れ落ちそうな家の補修をしながらその家に暮らし始め、その後やってきた旅人達も一緒に補修し暮らし始めます。まいにち まいにち すこしずつ みんなで なおした みんなのいえの絵本です。 著者の「たしろちさと」さんは「絵本『みんなのいえ…
物質に刻まれた痕跡を継承するデザイン
再利用しようと保管しておいた古い建具から、「7さい ようこ 1966」という文字を発見した。
建て主のご家族が子どもの頃に描いた文字である。身長を測って印を付けていたのだろう。
1966年とあるから、58年前の記録である。この痕跡を見つけた時、建て主の方は大喜びであった。
ごく普通の建具でも、思い出の詰まった建具は本人にとってはかけがえのない宝物だ。 2…
リノベーションで生き延びたパンテオン
そもそも、リノベーションは古くから行われてきた。
よく知られているローマのパンテオンも、その一例である。
パンテオンは、アグリッパによってローマの神殿を祀るため、約2000年前に建てられた。
しかし、ローマの神々が信仰されなくなった600年頃、
キリスト教の聖堂にリノベーションされ、破壊を免れた。
コンクリート造で堅固な構造とと…
「旧根岸競馬場」の保存活用はいかに?
根岸競馬場は1929年に建設され、我が国初の洋式競馬場として知られる。
この歴史的建造物は、建築家J.H.モーガンの設計によって建てられた。
戦後は連合軍に接収され、1982年に他の根岸公園部分と合わせて国へ返還され、
さらに1987年には横浜市の管理下へ移された。 ここに紹介する写真は、競馬場の1等観覧席を北西方向から撮影したものである。
「寄り添う」という形の保存活用:甚吉邸とW-ANNEX
隠れた宝石のように、大きな樹木に隠された建物がひっそりと佇む。
それは、登録有形文化財である旧渡辺甚吉邸に寄り添う、黒子のような存在の多目的スペース、W-ANNEXである。
このスペースは、ツバメアーキテクツと前田建設工業の設計により、
2022年に甚吉邸の隣に建設された。 甚吉邸は、1934年に遠藤健三、山本拙郎、そして彼らの恩師である今和次郎に
よって…